teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

新着順:14/1935 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

基本を学びましょう。

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2020年 2月24日(月)20時24分59秒
  通報
  未信者だったまま地上の人生を終えた人(よみに行った人)のすくいの機会について、「わかりません」という牧師が少なくないのも、否定論を信じてしまう人がまだいるのも、既存の教会が聖書の基本的なことを理解しておらず、人々に教えてこなかったことにも原因があるように思われます。このことは、私たちベテランのクリスチャンも、反省する必要があるように思われます。
私たちは、まず基本を学びましょう。
  人は、本来、父なる神様のおそばに永遠にいられるようになっておりました。父なる神様の豊かな恵みに永遠に満たされて過ごせるようになっておりました。この「父なる神様のおそばで、その豊かな恵みに永遠に満たされている状態」が、「楽園」=「天国」=「神の国」にいる、ということです。
しかし、最初の人アダムとエバの誤りにより、人は父なる神様のおそばから離されてしまいました。楽園にいられなくなってしまいました。このため、私たち人類は、死をはじめ、さまざまな苦難を経験しなければならなくなりました。
私たちは、もとどおりの、「父なる神様のおそばで、その豊かな恵みに永遠に満たされている状態」にもどる必要があります。この、もとどおりの、「父なる神様のおそばで、その豊かな恵みに永遠に満たされている状態」になることを、「すくい」と言うのです。つまり、すくいとは、私たちが「天国」「神の国」に入れることを言うのです。
それでは、私たちは、どうしたらすくいを受けられるのでしょうか?「天国」「神の国」に入れるのでしょうか?人は、自分の誤った行いによって父なる神様のおそばから離されたので、今度は自分の正しい行いによってすくいを受けなければなりません。つまり、父なる神様と同じように、完全に正しい行いによってすくいを受けなければなりません。完全に正しい行いとは、600以上もある律法を完全に守るということです。しかし、実際には、誰にもそんなことはできません。なので、私たちは、行いによってはどうしてもすくいを受けることができません。行いによっては「天国」「神の国」に入ることはできないのです。
そこで、私たちには、キリストのあがないがどうしても必要になるのです。
キリストが私たちの誤ちをすべて一身に引き受けてあがないをしてくださいました。私たちは、キリストのあがないを信じ、正しい悔い改めをすると、すべての誤ちが帳消しになるのです。父なる神様は、私たちを、キリストのあがないをとおしてご覧になってくださり、私たちをキリストのように完全な状態と同じとみなしてくださるのです。このため、私たちはすくいを受けられるのです。天国に行けるのです。
私たちは、キリストのあがないを信じる信仰によってのみ、すくいを受けられるのです。「天国」「神の国」に入れるわけです。キリストがあがないをしてくださったという、神の一方的な恵みによってのみすくわれるのです。決して、自分の行いによってすくわれるわけではありません。
「キリストのあがないは私たちのすくいのためであり、キリストのあがないによらなければ誰もすくいを受けることはできない」 これが聖書の教えの根本です。つまり、
「キリストのあがないは、私たちが「天国」「神の国」に入れるようにするためであり、キリストのあがないによらなければ、誰も「天国」「神の国」にはいることはできない」ということなのです。
そうしますと、キリストのあがないがあるまでは、人はどうしたってすくいを受けられない、「天国」に入ることはできない、ということになります。なので、あがないの前に死んだ人は、誰一人として天国に行くことはできず、ヤコブやヨセフたちのように信仰があり神様から愛された人もふくめ、すべて「よみ」に行っていたのです。もし、あがないの前でも天国に行っていたとしたら、”キリストのあがないによらずにすくいを受けた”、”キリストのあがないがなくてもすくいを受けられる”、”私たちがすくいを受けるためには、キリストのあがないはなくてもよい”ということになってしまいます。これでは、「キリストのあがないは私たちのすくいのためであり、キリストのあがないによらなければ誰もすくいを受けることはできない」という聖書の教えの根本を否定することになってしまいます。
キリストは、あがないのあとによみに行きました。キリストは、ヤコブやヨセフたちよみにいる人々に、何をなさったのでしょうか?
これは、「福音を宣教された」としか考えられません。他の理由はまったく考えられません。そして、よみでご自身にしたがった人々を、昇天のときに天国に引き上げたのです。
つまり、キリストのよみくだりは、①私たちのあがないのためと、②よみにいる人々にすくいの機会をお与えになるため=天国に行けるようにするため=もとどおり、父なる神様のおそばで永遠に過ごせるようにするため、であったわけです。
誰も、私をとおらなければ父のもとに行くことはできない。これは、どんな人でも、キリストのあがないと昇天によらなければ、決して天国・神の国はいることはできない、という意味なのです。
こうしますと、「よみ」でもすくいの機会はあるという考え(セカンドチャンス論)が、明らかに初代教会から続くキリストの教えであることは、誰にでも容易にわかることです。
 
 
》記事一覧表示

新着順:14/1935 《前のページ | 次のページ》
/1935