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強大な力

 投稿者:12345  投稿日:2019年 8月 8日(木)12時39分57秒
  また新しい銀河が発見されたようです。地球から150億光年だそうです。とてつもなく強大な力を感じます聖書を論じる以前の問題です。時間の始まり、無限の空間、その方に畏怖の念を感じます。紛れもなくこの方が神様です。
 
 

(無題)

 投稿者:ハブヒア  投稿日:2019年 8月 8日(木)09時54分27秒
  死去した後に我が人生をゆっくりと振り返る事が可能になる黄泉の国は必要だと私も思います。
キリストの名前や聖書の書物を知らない人はいないと思うけど、この忙しすぎて複雑な世の中にいれば娯楽は求めるけども、なかなか聖書を読んでみようとはしないし、又サタンに惑わされるなどしてキリスト様は神が送った救世主だと断固として信じない人が普通です。
その証拠が日本人は多神教の宗教を受け入れている。
なので死後に黄泉で悔い改める事が可能になる必要はあると思います。


ローマ教皇もローマカトリックも知らない人はいないと思うし、これだけ世界に影響力を持つ聖職者が同性愛を認めた事や「キリストは悪魔の子」だとか「キリストの十字架は失敗だった」と公言するのは神の前には罪な事になると思います。
その一方で、教皇が立派な言動をしても、このような極め付けのキリスト否定の言葉はどういうものでしょうね。
多くの人が影響を受ける聖職者が神を否定する言葉はやはり罪に定められると思いますけどね。
そういう私も罪人には違いなく、裁かれないとは限らないという思いは常に気持ちの中にあります。
神様が分からなくなる度に聖書を読み返したり、聖書の記事を検索して学んだりを繰り返して再び神様に戻って来るの繰り返しで、いつ完璧な信者になれるのだろうかと思います。
聖書の記事を書く人で(下の方に紹介した「真実の聖書福音と預言」のブログの管理人さん)とても博学で辛口で厳しい人がおられ、そういう方にこういうコメントをすれば手厳しいコメントが帰ってきますが、受け入れるべきものは素直に受け入れていますが、成人でもまだクリスチャンの子供にはきつく感じるしそのために反論コメントもかなり入ってきます。
又反論する人の中には聖書を理解していない人も普通にいます。
 

原爆犠牲者と世を去ったすべての人のための祈り

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2019年 8月 6日(火)09時22分33秒
  本日は、広島の原爆記念日ですね…
主が、原爆の犠牲者とご家族を、天国かよみの慰めの場所に導いてくださいますように、よみに行った場合は、よみで主の慰めを受け、主を信じて第一の復活になりますように、すべてのクリスチャンとともにお祈りしたいと思います!
20年以上も聖公会の信徒をしていますが、最近になってあらためてようやく気付いたことがありました…!
聖公会は祈祷書にしたがって礼拝を行っています。その祈祷書に、「世を去ったすべての人に、主の愛のみ旨がなされるように、み国の栄光にあずかることができるように」お祈りする箇所があります。この祈りは、「未信者だった人のことも含まれています」とのことでした。
つまり、聖公会は、毎週の礼拝で、必ず、未信者だったまま地上の人生を終えた人のすくいのために祈っているのでした!
ローマ教会も正教会も、未信者だった人のすくいの機会を否定しておりません。信徒数世界1位~3位の教派で、死後のすくいの機会を否定しておりません。しかし、こうした話を否定論者にすると、「これらの教派は聖書と異なることを教えているのだ。肯定論はごく一部の元牧師などが言っているだけだ」などと言って、肯定論を口汚くののしります。「私は、直接にキリストのみ声を聴いているんですよ」と言っても口汚く悪口を言ってきます。
こうした人は、自分の名前が命の書に記されているかどうか、心配にならないのでしょうか…?
神をも恐れぬ人って、本当にいるものなのですね…
 

否定論者の巧妙な改釈

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2019年 7月26日(金)22時08分26秒
  聖書というのは、これが書かれた当時の人が、ごく普通に素直に読んでどのように理解できるかを第一に考えて読むべきものです。これが、聖書の基本的な読み方です。
「生きている者にも死んだ者にも慈しみを惜しまれない主」(ルツ2:20)
ナオミがこの言葉を述べた当時は、まだキリストのあがないの前です。なので、ヤコブやヨセフたちのように信仰があり神から愛されたものも含め、すべての死者は「よみ」に行っていました。なので、ナオミのこの発言は、明らかに、「よみに行った人にも慈しみを惜しまれない主」という意味です。
セカンドチャンス否定論者は、このナオミの発言を、1000年以上もあとにキリストが律法学者とファリサイ派に述べた言葉「どうしてあなた方はゲヘナの裁きを免れることができようか」(マタイ23:33)などを引用して、信仰のないまま死んだ人は悪者ばかりで、死後のすくいの機会を信じることはとても悪いことであるかのような印象を与えようとしています。その一方で、ヤコブやヨセフたちのように、信仰があり、神から愛された人も「よみ」に行くものと理解していたという点には(創37:35、42:38、44:31)、故意に触れないようにしています。
ナオミの時代は、このキリストのみ言葉より1000年以上も前です。おまけに、律法学者・ファリサイ派は世の中にまだ存在しておりません。なので、ナオミがキリストのこのみ言葉を考えて発言することは不可能です。
「悪者どもは、やみの中に滅びうせます」(サム上2: 9)「悪人には悪人として、その行いの報いを頭にもたらし」(列上8: 32)これらも、ナオミの時代よりあとのみ言葉です。なので、ナオミがこれらのみ言葉を考えて発言することは不可能です。「神に逆らうものは裁きにたえず、罪ある者は~」(詩1: 5)「あなたは御座につき~、逆らうものを滅ぼし、その名を世々限りなく消し去られる」(詩9: 5)こうしたみ言葉を羅列して、信仰のないまま死んだ人は、すべて悪者であり、死後のすくいの機会を信じることはとても悪いことであるように印象操作をしています。
これらの厳しいみ言葉は、地上で悪いことをしていた人に対してのものであり、「よみ」に行った人すべてに言われているものではありません。これらの当時は、キリストのあがないがまだないので、信仰のあった人もなかった人も、善人も悪人も、すべての死者は「よみ」に行っていました。なのに、悪人に対してのみ言葉ばかりを引用して、”死後(よみに行った人)にすくいの機会はない。死後(よみに行った人)のすくいを信じることは悪いことである”ように決めつけるのは、明らかに故意に暴論改釈を行っているものだと思います!
なお、神から厳しく言われているけれど、すくいをうけている場合もあります。
ペテロは、キリストからサタン呼ばわりされ、実に厳しく罵倒されたことがあります(マタイ16:23、マルコ8:33)。それでも許されています。ダビデも、サムエル下12:7~12で厳しく叱責されています。それでも許されています(それなりに報いも受けましたが)。
神が厳しい言葉を述べているときは、人が大きな過ちをして、その過ちを悔い改めていないときです。人が大きな過ちをして悔い改めなかったら、神としても厳しいことを言わざるをえません。もし優しい言葉をかけたなら、その人は悔い改める必要がないことになってしまいます!
人が何か大きな過ちをしても、その過ちを本心から悔い改めるならば、神はその罪を許し、優しい言葉に変えてくださる可能性は、神の愛の大きさ強さからすると、当然にあり得ることです。「人はどんな罪も許してもらえる」(マタイ12:31、マルコ3:28)とあります。”よみで悔い改めても許しは与えられない”とは決して言われていません。もっとも、よみで悔い改めた場合、それが本心からの正しい悔い改めなのかどうか、許しを与えるかどうかは、あくまでもキリストご自身が判断されることです。決して、私たち人間が判断できることではありません。
なので、神が地上で厳しく言われたからといって、よみで悔い改めても許しを与えられないとは、私たち人間には決して断言することはできませんし、必ず許しを与えられるとも断言することはできません。あくまでも、キリストご自身が判断されることです。
 

ヨセフ物語

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2019年 7月24日(水)22時40分24秒
  ヨセフ物語は、誰でも感動できる箇所ですよね!このヨセフ物語は、現在の私たちの人生にも、何らかの示唆を与えているものかもしれません。
ヤコブは、ヨセフが獣に殺されてしまったと思ったとき、非常に衝撃を受けたでしょうね…かなりの長期間悲痛に苦しんでいたことと思います。「なんでヨセフを助けてくださらなかったのでしょうか…?」と神を呪ってしまったかもしれません。
ヨセフがまだ生きていてエジプト全国を治める者となっていると聞いたとき、ヤコブは本当に気が遠くなったでしょうね…ただ、それまでの長期間、ヨセフが本当は生きていることを神はまったくヤコブに教えておりません。この間、ユダとタマルの話があり(この間も、かなりの日数が経過しています。創38:12)、エジプトでの仕事、突然の牢獄生活(2年以上経過しています。創41:1など)、豊作の7年がありましたから、10~20年くらい経過していたと思われます。ヤコブほど神から愛された人に対しても、神はヨセフが生きていることを長期間まったく教えませんでした。
若いころのヨセフは、性格に問題があったのではないかという見解もあります。ヨセフは、父親に兄弟の告げ口をしていました(創37:2)。これでは、兄弟たちはたまりません。父親から自分だけいい服を着させてもらっていましたが、「お兄さんたちにもいい服をきさせてあげてよ」と父親に言ったという記述はありません。若いころのヨセフは、自己中心的で、相手の身になって物事を考えることのできない性格だったのかもしれません。なので、兄弟たちに激しく憎まれ、殺されそうにまでなったのではないでしょうか?
ヨセフは、自分にも問題があったことだったとはいえ、エジプトに連れていかれたときや、牢獄にいれられたときは、激しく神を憎んでしまったのではないでしょうか?普通の人ならそうなると思います。
しかし、神は、ヨセフの人生を一気に逆転させ、ヤコブや兄弟たちも含め、全員をハッピーエンドにしました。ヨセフは、若いころとは性格も変わり、自分を殺そうとさえした兄弟を許し、保護しました。
現在の私たちも、理解のできない困難・苦しみが長期間続くことがあります。こうした苦しみにたいして、神はまったく何の説明もしてくださらないこともあります。ですが、神は必ず私たちの人生を逆転させ、すべてハッピーエンドにしてくださる日がくるのではないでしょうか?自分に問題があったために苦労してしまったことをも、いずれ益としてくださる日がくるのではないでしょうか?自分を殺そうとさえする人を許すという、まさにキリストに似たものとなる日がくるのではないでしょうか?
ヨセフ物語は、こうしたことを示唆している物語なのかもしれません。
 

返信

 投稿者:そら  投稿日:2019年 7月10日(水)12時34分4秒
  >信徒が教会で説教することについて  投稿者:竹  投稿日:2019年 3月31日(日)20時00分2秒

聖職って何でしょう。牧師って何でしょう。
そうした肩書きや称号は聖書の中には書いてはいませんし、牧師という呼び名すら実際は書いてありません。
それはそういう敬称があるといろいろ便利だからとか、そういった理由で用いているものです。

ピリポは、皆のために食事を作る係りをする人でした。彼には牧師とか伝道師というタイトル(肩書き)はありませんでした。でも彼がエチオピアの宦官に会った時、宦官に聖書を解き明かし、しかも、水の洗礼を授けています。エチオピアの宦官は今、エチオピアに帰る最中で、聖書研究とか、礼拝とかにさえ参加しませんでした。その日のうちに、福音を聞いて、救われて、その道端にあった川かどこかで、洗礼も受けたのです。

ピリポは食事係でしたが、伝道したり教えて、この宦官を神の救いに導きました。
ここからわかる事は、誰でも伝道したり教えたり、相手が深く理解し神に悔い改めて神への救いを求めたなら、主イエスにつく洗礼を与えることができるという事実です。
ほかにもパウロがイエス様によって盲目にさせられた後、アナニヤという人がパウロに伝道して、悔い改めと救いとに導く場面もあります。このアナニアという人は、キリストの弟子ではありましたが、特別な役職やタイトルは、なにもありませんでした。
現在の教会では、何年間か教会(といわれる場所や建物)に通って、出席具合によって教会にどの程度の信仰や所属意識を持っているのかを確かめられ、たいていは、人の集まる日曜に洗礼式をよばれるものを行っています。そして聖書を教えるのも、洗礼を授けるのも、牧師か、神父と決まっています。

では「教会」とはもともとどういう意味だったのでしょう。
教会とは原語は「人の集まり」や「集まり」とか、そういった意味のものでした。建物や、教団・組織を指すものではありませんでした。
それが、コンスタンティヌス帝がキリスト教をローマ帝国の国教にした時に、立派な建物を作って国民を集わせる必要が出てきたからです。国民管理のための政治(宗教)の一策です。

毎週日曜に礼拝に来る人は、皇帝と皇帝の推奨する国教(ローマ・カトリック教)に従順な国民とし、税金も不当に取られないような恩恵も与えました。まるで江戸時代に行われていた日本の仏教の檀家制度と同じですが、そのようにして国民の人口や動向を1つ1つチェックし、ローマ帝国に歯向かうことのないような人材作りをするための道具としてキリスト教を用い、国民を管理することから始まりました。
またローマ・カトリック教は、それに完全同意したのです。

だから現在のカトリックやプロテスタント教会の「礼拝」と呼ばれるものの中には、こういう歴史の流れの延長線上に立っています。プロテスタントはカトリックから分かれましたが、完全な宗教改革というものは、残念ながらまだ400年前には出来ませんでした。
聖書には、こうしたローマ・カトリックの形式が正しいとか、こうするのが正式とかは、書かれていないものは多いです。それは、いまもなお脈々とつづく人の作り出した「伝統」によるものである場合が多いのです。
では、現在ではどうでしょうか。
プロテスタントの教会では、こんな感じだと思います。
たいてい日曜の朝10時か11時ごろに礼拝はあって、教会に行ったら最初に静かに座って祈祷する。その後、説教者(たいてい牧師)は1時間~1時間半くらいの説教をする。その後、皆で立って、3~4曲くらいの賛美歌を歌う。そしてまた座る。そして献金袋がまわってくる。連絡事項や祈祷課題などをアナウンスして、少し皆で祈る。その後解散してある人はお昼ご飯を一緒にたべ、ある人は帰宅する。(その他こまかい違いはあるでしょうが、だいたい同じだと思います)

そのあとは、月曜から土曜まで、説教の内容とは関係のない一週間を過ごし、もし罪さえ犯していても、日曜さえ礼拝に出ていれば、自分をクリスチャンだと思ってしまう人が多いのが、現状ではないでしょうか。

では多くの方々がこれを疑問に思わず、なずこれをしているのでしょう。
救われたのは恵みによるのに、行いによるかのように、してしまうのでしょう。
これはやはり個人個人が、歴史と、聖書を、ちゃんと調べていく必要があると思います。
たしかに人間の作った「伝統」というものがどこにでも存在しますが、それを受け入れるも受け入れないも、その人個人個人の自由だからです。
それは、牧師のせいでも、長老のせいでもなく、個人個人が考えるべき問題だからです。

でも初期の教会にも、役職のようなものがあったというのは解ります。
1、使徒、2、預言者、3、伝道者、4、牧者、5、教師(エペソ4章)のような5つの職。
または、(1コリント12:28-29)に書いてあるように、
「28そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。」
などなどです。現在の使徒たち・弟子達のあいだでこれが行われているのなら、きっと健全な教会なのだろうと思います。

でも聖書が言っているのは、それを一人の牧師・神父だけで一気に引き受けて行うのではなく、すべてのキリストの弟子となった人が、キリストにおいて成長し、キリストの身体の一部分として皆が成長して、すべての信者がキリストの身体を立てあげるのだということです。

なぜなら「クリスチャン」という言葉は元々、教会に日曜日通っている人という意味ではなく、「キリストに似た者」という意味だからです。
 

RE:三位一体論について

 投稿者:久保有政  投稿日:2019年 7月 8日(月)07時54分29秒
  キリスト教においては、御父ヤハウェ、御子イエス、聖霊の三者は、互いに区別されるおかたであるが、存在と本質において一体であるという「三位一体の神」を信じます。
詳しくは、
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/045goyouno.htm
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/056seishoni.htm
をご覧下さい。
 

三位一体論について

 投稿者:黒河内隆  投稿日:2019年 7月 6日(土)21時03分35秒
  ヤハウェとイエスは同一ではないが一体である、と言う意味が理解できません。
ものみの塔の解釈と教会の解釈と混乱していてどちらが正解なのか難しくて分かりかねます?
 

(無題)

 投稿者:ハブヒア  投稿日:2019年 6月 6日(木)17時27分26秒
  久保有政さんが言われるには、ペットも天国に行くのではないかとキリスト教読み物サイトのレムナントに書かれていたように記憶していますが、これはあくまで理想で聖書にはペットの事は書かれていないです。
私も人と感情を共有できる特に犬は大好きです。
大分の九重連山で昭和60年代はじめまでの約14年間活躍した、山のガイド犬の平治号の話で恐縮ですが、長者原近辺に捨てられていた皮膚病にかかっていた秋田犬のメスの仔犬でした。
平治が活躍していた14年間は一人の遭難者も出していないと言われる、山のガイド犬初のとても優秀な犬でした。
検索すれば当時の写真や記事が出てきて度々訪問するほど平治号に会いたいので私も復活して欲しいです。

 

にゃんことわんちゃんの死後は?

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2019年 6月 1日(土)08時40分55秒
  私たちが家族と思って一緒に過ごしてきたにゃんこやわんちゃんは、死後はどのようになるのでしょうか?
バプテスト連盟のある牧師は、「当然、天国に行きます!にゃんこやわんちゃんは、人間と違って、まったく罪を犯していないからです!」と述べていました。たしかに、私たち人間のように、人をだましたり人のものを奪ったりはしません。
私たちの家族の一員であったにゃんこやわんちゃんが、死後何もなくなるとは信じたくありません。天国に行っているものと信じたいですね・・・
 

神が「運命の管理者」である根拠

 投稿者:ありがとう^^感謝  投稿日:2019年 5月 3日(金)18時06分16秒
  ブログ記事;神が「運命の管理者」である根拠を
アップしたので よろしければご覧ください

http://blog.livedoor.jp/occult_number/archives/9308398.html

 

生温い信者への警告。

 投稿者:ハブヒア  投稿日:2019年 4月 7日(日)20時23分39秒
  題名:現在進行で人類は選別されている。

https://ameblo.jp/leo085/entry-12298191868.html

上の記事は「真の聖書預言と福音」というブログの中にある記事で、
牧師さんのサイトのようです。
真髄をついた記事が揃っていると思います。
読者の皆様に、ぜひ読んでみて下さい。
 

非難一点張りのブログ

 投稿者:ハブヒア  投稿日:2019年 4月 7日(日)16時48分16秒
  最近知ったのですが、天皇家、政治家、企業、一般有名人等等、全てが非難の対象で、自分の考えのみが正しいとする下のブログをどう感じますか。
疑問に思ってネットで検索してみると、このブログ管理人について警告したブログが多々あり、最も決定的な事としてキリストの十字架の意味を否定している、神の計画は失敗の連続だったと言っているようで、要するに反キリストの悪魔崇拝者であるという事です。
ですが、自分はキリスト教一派であるとして聖書も読んでいるようで、啓示を受けて愛媛県に教会を設立した人のようですが数々の問題を感じました。
動画も多々アップしていて全てが非難のみの内容です。

RAPT(太陽神崇拝を意味する名前との事)のブログです。

http://rapt-neo.com/?p=16687

このタイトルの内容についても支離滅裂でこれというインパクトを感じないのですが。
 

やはり

 投稿者:あきこ  投稿日:2019年 4月 6日(土)04時36分1秒
  ペンは聖なる筆記具です。  

love

 投稿者:akiko  投稿日:2019年 4月 1日(月)06時08分17秒
  I love Chist.  

勝さん

 投稿者:あきこ  投稿日:2019年 4月 1日(月)00時12分30秒
  ありがとうございます。私は、ペンのグッズもあります  

信徒が教会で説教することについて

 投稿者:  投稿日:2019年 3月31日(日)20時00分2秒
  私が通っている教会では、今まで牧師以外や聖職者以外の方が説教してませんでした。
事情があって、教会の皆さんで選ばれた信徒がメッセージする場合は、ありますが今回は、信徒に実験的に証しではなく、メッセージを、させているようです。
他の宗派では、牧師以外の人が説教することを禁じる教会もあります。
神の代弁者である教会の説教を誰でもして良いものなのですか?
クリスチャンの方に質問してます。
宜しくお願いします。??
 

偶像礼拝に値するものはどういうものでしょうか。

 投稿者:ハブヒア  投稿日:2019年 3月31日(日)14時18分28秒
  マリア像やミカエル像やキリスト像etc etc等は偶像崇拝になり、それは悪魔が人間に気づかれないようにカモフラージュしたようなものらしく、悪魔を拝ませているようなものらしい。
生まれ育った家系が魔女や悪魔崇拝をしていた家系だと言う元悪魔崇拝者のジョン・ラミレ氏が話していました。
氏は悪魔に盲人にされた事もあるし、最後は地獄に連れて行かれて悪魔にそこで殺されかけた時にキリストに助けられてからキリスト教の伝道者になったと言っています。
キリスト教徒と言えども生ぬるく本気で悪魔がどれほど怖いものか
という事を感じました。

下はジョン・ラミレス「地獄からの脱出」のYou Tube動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=J8yIQuQ3sAU
この他にもあります。
 

ユダ

 投稿者:あきこ  投稿日:2019年 3月30日(土)21時24分21秒
  ユダはほんとうにイエス様を銀貨で売ったのですか  

イエス

 投稿者:ペンクリップ  投稿日:2019年 3月27日(水)16時17分33秒
  イエス様は好きです。  

講演会

 投稿者:日本を愛するキリスト者の会  投稿日:2019年 3月26日(火)09時18分8秒
  日本を愛するキリスト者の会
講演会

歴史の真実を知り、神の真理に立とう!

4月13日(土)14:00-16:30 神戸バイブルハウスにて

講演「信仰と政治:北朝鮮拉致問題と取り組んで考えてきたこと」
講師:西岡 力氏
慰安婦問題や北朝鮮拉致問題に詳しいキリスト者。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)会長。

http://mas-eng.com/chirashi.jpg
 

(無題)

 投稿者:SA  投稿日:2019年 3月22日(金)04時02分41秒
  米、ゴラン高原をイスラエル領と認定へ トランプ氏が表明
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190322-00000000-jij_afp-int
 

あきこさん

 投稿者:大城勝  投稿日:2019年 3月14日(木)09時19分7秒
  お気に入りのキーホルダーに出会えて良かったですね。

キリストさんに感謝しましょう~~ (^^)/

http://www.jesus4-25.com/yugi/77-77.html

 

買いました

 投稿者:あきこ  投稿日:2019年 3月13日(水)18時42分54秒
  十じかのキーホルダーかいました  

キリストさん

 投稿者:あきこ  投稿日:2019年 3月 6日(水)15時17分52秒
  ペンは  キリストさんの聖なる道具です。  

エリヤはどこですか?

 投稿者:宮本  投稿日:2019年 2月24日(日)09時10分15秒
  エリヤはどこなのでしょう?もう現れてもいいんじゃありませんか?それとも「大いなる恐るべき主の日」(マラキ書三章二十三節)とは具体的にまだまだ先のことなんでしょうか?  

保証できるわけではないのですが・・・

 投稿者:宮本  投稿日:2019年 2月20日(水)10時17分0秒
  以前からネット上で「アメリカで戒厳令が布告される」という噂があったのですが、どうもそれが現実味を帯びてきたようです。と言うのもアメリカで非常事態宣言が出されたからです。少し考えれば推測できます。それに対して野党側が「法的措置を取る」と言っているのです。そしてトランプ大統領は「受けて立つ」と言っています。これでもしも司法がトランプ大統領に対して不利な判決を出せばトランプ大統領は戒厳令を布告して司法権限を制限し、メキシコ国境での壁建設を強行する可能性があります。
アメリカで戒厳令が出されればそれはアメリカに与えられてきた恩恵期間と無関係であるはずがありませんし、獣の刻印の艱難ともやはり無関係ではありません。そしてアメリカは獣の刻印の艱難の直前の状態にあるという意見には多分同意が得られるはずです。保証できるわけではないのですが、世界が動いているということは間違いありません。
 

四方の風

 投稿者:宮本  投稿日:2019年 2月16日(土)09時00分50秒
  黙示録に
「わたしたちが、神のしもべらの額に刻印を押すまでは、地にも海にも木にも害を加えてはならない」(七章三節)
と書いてあります。今の人達は「今の平和は特別な力によって維持されている」「どういうことをしてもこの平和は崩れるということがない」と認識しているようですがそれはその点においては正しいと言えます。今の平和はたしかに特別な力によって維持されているもので今の時点ではどういうことをしてもそれが崩れることはありません。しかし、その風は解き放たれるために抑えられているのです。世界の現状を見てみればどこをどう見ても風が抑えられているようにしか見えません。政治・経済・軍事・地殻や気象などもすべてが神秘的な変質を迎えるその直前の状態にあります。福音に従わない人達は今の平和が恒久的に続くと思っていますがそれはただの甘えです。そんなことあるわけないじゃありませんか。世の中そんなに甘くありません。成長を拒否してひたすら欲望を追求してきた人々は自分が貧しくて、裸で、目が見えないという逃れようのない現実に直面することになります。その時になってから後悔しても何もかも遅い。今はまだ後戻りのできる時間ですが、もうすぐそれができなくなる時が来ます。

>よしゅあさん
白血病というのは今はもう不治の病ではないのですかね?最近癌の新しい治療法が発見されたと聞いていますし、池江選手にもがんばってもらいたいです。
 

池江さんのために祈りたい・・・

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2019年 2月15日(金)06時50分59秒
  池江璃花子さんのニュースにビックリしました!
池江さんのために、すべてのクリスチャンはお祈りしたいですね・・・
主よ、池江璃花子さんに、早急な回復・いやし・東京五輪での十分な活躍をお与えください。
池江さんとご家族に、平安と慰めと、早い回復への強い確信と、未来への明るい希望をお与えください。
池江さんとご家族に、主を信じてすくいを受ける恵みをお与えください。
主イエスのみ名によって。
 

獣の刻印

 投稿者:宮本  投稿日:2019年 2月13日(水)11時03分36秒
  思うのですが・・・獣の刻印の艱難というのも結局は「新しい世界に入るかどうか自分で決めなさい」というただそれだけのことなのではないでしょうか。私は人間的に「その時までしっかり生きたとしてもうっかり隙が生じて獣の刻印を受けてしまったらどうしよう」と思っていますが、神と真理を求めてしっかりと生きていれば144000人の一人になることは決して難しいことではないはずですし、神の刻印があれば「獣の刻印を受けてみようかな」ともし思ったとしてもそれは実現しないはずです。なんと言いますか獣の刻印の艱難もまた神の監督下で行われるのですし、そもそも神の監督下で行われないことなどこの世にはありません。  

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