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しつこいようですが・・・

 投稿者:宮本  投稿日:2017年 5月27日(土)12時38分14秒
  また主の日について質問させていただきます。
あれからインターネット上をめぐって終末思想やそれに基づく情報を参照してみたのですが、どうやら現代はこれまでにないほどいわゆる世界の終わり、神の介入、物質主義の終焉、悪の清算といった出来事が待望されているようです。私は前の書き込みの中で「この閉塞感に満ちた状況を打開してくれるならもう何でもいいと思わないこともありません」と言いましたが多くの人が同じような感覚を持っているようです。しかし気になるのは聖書に「その日その時がいつになるかは誰も知らない。天使達も子も知らない。ただ父のみがご存じである」と書いてあることです。天使ですら知らないことが私達人間にわかるものでしょうか。なんとなく、天使達は神様からその日がいつ来るかを事前に知らされていて準備に余念がない・・・というイメージを持っているのですがそれは間違っているのでしょうか。しかし天使達が「神様が何かをするだなんてそんなことはないから大丈夫」なんて思っているはずがありません。久保先生や皆さんを疑うわけではないのですが「その日が近づいている」と思ったり言ったりすることが人間には許されているのでしょうか。聖書には「枝が柔らかくなり、葉が出るようになると、あなたたちは夏の近いことを知る」と書いてありますがそれは「知識」とも言え「予想」とも言えます。私達はその日が近いことを本当に知っているのでしょうか。

>よしゅあ様
これはどうも。共感していただけるとは幸いです。そうですね、私も自分にできることをやります。
 
 

神の国への希望

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2017年 5月22日(月)20時14分53秒
  宮本様のお気持ちも理解できます。最近は、内戦や核開発や戦争のうわさなどが多く、私も怖くなってきました・・・私たちは、自分一人の力だけでは、こうした試練に勝つことは困難なように思われます。
私たちは、毎日、キリストが私たちと私たちの家族に支えと安全と勇気をお与えくださることと、キリストの再臨に希望を持ち続けることを、祈り続けていくことが大切であると思います。
 

そうなんですか

 投稿者:宮本  投稿日:2017年 5月14日(日)07時39分45秒
  >久保先生
そうなんですか。私の場合その日に対して絶望的になったり恐れたりするのではなくてある程度は楽観的になるべきなんですね。そしてその日は「破滅」ではなくて「試練」なんですか。勇気を持つようにします。それからその日を望む気持ちがあってもそれは不健康ではなくて自然であるということですか。少し安心しました。そして勉強になります。
 

Re:主の日

 投稿者:久保有政  投稿日:2017年 5月11日(木)09時21分10秒
編集済
    この世が終末をやがて迎えるのは、この世が自らの罪のゆえに自滅の方向に向かっているからです。確かに試練なくこの世が続いていってくれればよいと思うのが人間ですが、聖書はやがてこの世は悪と罪が最高潮に達するときを迎えると預言しています。それは避けられません。そうして最高潮に達して、もはやどうしようもない状態になったとき、神はこの世に介入し、地上の悪に終止符を打たれます。それか主の日です。それまでのあいだ主は、ひとりでも多くの人が神に立ち返ることを望んでおられます。神はそののち、神を愛する人々に、至福と永遠の命の神の国を継がせられます。
その終末の試練の時は、ふつうの人にとっては耐えることの困難なときですが、神を信じる人には「栄光の御霊」が宿ると述べられています。主はその試練を乗り越える力を与えてくださいます。心配はいりません。弱い人も強められます。それは主の力を体験するときになります。試練の向こうには栄光の至福の国があります。ですから神を待ち望む人にとってその日は、恐れるべきものでなく、むしろまちのぞむべきものです。

 

主の日

 投稿者:宮本  投稿日:2017年 5月 7日(日)19時49分24秒
  せわしないですがまた質問させて頂きます。
久保先生はコンテンツの中で「現代がすでにその時を間近にひかえていることは、ほぼ確実と思われます」と仰っていますが、私はその日を生きのびる自信がありません。私は「主の日」「大いなる日」「恐るべき日」が臨んだら殺されると思っています。実際聖書には「誰がその日に耐ええよう」と書いてあります。それとも間近に迫っている「その時」と「主の日」は違うのでしょうか。主の日においては「わざわいだ、主の日を待ち望む者は」と書いてあります。その日はこれまでなくこれからもないほど過酷なものになると書いてありましたので少なくとも歴史上にはまだその日は来ていません。たしかにこの閉塞感に満ちた状況を打開してくれるならもう何でもいいと思わないこともありません。しかし心の中ではなんだかんだ言って何も起こらず、このぬるま湯のような日常の延長線上に神の救いがあるのではないかと甘い考えをしているのです。創世記における方舟の伝説ではノアは救われましたがそれ以外はみんな消されてしまいました。主の日が望むのは何のためなのでしょうか。そしてその後の世界はどうなるのでしょう。単純に考えるのならキリストによる神の国が実現するのだと思います。しかし、私は自分もこの世界もその恐るべき日に耐えられるとは思えないのです。選ばれた人だけを救うのが神の御心なのでしょうか。
 

久保先生へ

 投稿者:大城勝  投稿日:2017年 5月 6日(土)17時44分27秒
  今日は久保先生の、旧約時代の「よみ」における実話を読んで目から鱗でした。

「ラザロと金持ち」のこの話は"たとえ話"と呼ばれることもありますが、私はこれを"たとえ話"とは考えておりません。
なぜなら、キリストはたとえ話を語られるとき、必ず「ある人が・・・・」と言われました。
「ぶどう園のたとえ」(ルカ二〇・九)でも、
「タラントのたとえ」(マタ二五・一四)でも、「宴会のたとえ」(ルカ一四・一六)でも、「ある人」と語られています。
しかしキリストは、この「ラザロと金持ち」の話においては、「ラザロ」「アブラハム」と、具体的人名をあげられました。
具体的人名が出てくるのに、どうしてそれが"たとえ話"であり得るでしょうか。

キリストが、かつて「栄華をきわめたソロモン」について語られたとき(マタ六・二九)、それは実話でした。
キリストが、「神によって滅ぼされたソドムとゴモラ」について語られたとき(マタ一〇・一五)、それは実話でした。
キリストが、「アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜んだ」(ヨハ八・五六)と語られたとき、それは実話でした。
ですから、キリストが「ラザロ」「アブラハム」と実名をあげて語られたとき、それは当然、実話であったと私は考えています。
それは、旧約時代の「よみ」における実話なのです。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/yomema02.htm

先週も東久留米の教会に行ったら目から鱗が取れました。
これからは、私の伝道方法を方向転換していきます。
色々とありがとうございます。 感謝です。<m(__)m>
http://www.jesus4-25.com/kyoukai/666-7.html

http://www.jesus4-25.com/kyoukai/masaru-2.html

 

へえ!

 投稿者:宮本  投稿日:2017年 5月 6日(土)16時30分29秒
  ご返答まことにありがとうございました。少し難しかったですがコンテンツも一読しました。
よみの世界というものがあるのですね。そこで人間はもう一度、幸いにとは言えないようですが時間と猶予が与えられるわけですか。非常に興味深い他界観です。
 

Re;質問があるのですが

 投稿者:久保有政  投稿日:2017年 5月 6日(土)10時59分32秒
   ご質問ありがとうございます。
 人間が死後行く場所には、天国、よみ、地獄の3つがあります。
 よみと地獄は混同されてきましたが、別の場所です。ダンテの時代に、よみと地獄は混同されていましたので、ダンテの書いたものは参考にはなりません。
 信仰を確立することなく、特に善いことをしたわけではないが特に悪いことをしたわけでもない方々は、よみに行きます。よみは幾つかの場所に分かれており、生前の行いに応じて、それぞれの場所に行き、そこで人生を振り返るときを与えられます。
 また福音を聞く機会も与えられます。このよみでの機会を、セカンドチャンスといいます(ファーストチャンスはこの世の生です)。
 そして世の終わりの最後の審判のときに、よみの人々はすべてその審判の法廷に出されます。よみの人々の中で、すでに神に立ち返った人々は、新天新地の神の国に入ります。一方、神に立ち返ることのなかった人々は最終的に地獄へ行きます。地獄は世の終わりの最後の審判以降のための場所です。
 詳しくは下記をご覧くださるといいと思います。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/yomema02.htm
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/seiseco.htm
 

質問があるのですが・・・

 投稿者:宮本  投稿日:2017年 5月 6日(土)08時51分51秒
  初めまして。私は正式なキリスト教徒ではないのですが聖書を日常的に読む人間です。
質問があります。この世において特に善いことをしたわけでもないが、特に悪いことをしたわけでもない人間というのは最終的にどのような運命をたどることになるのでしょうか。聖書には「天国に入るどんな小さな者でも彼(洗礼者ヨハネ)よりは大きい」と書いてあります。またきちんと読んだわけではないのですがダンテの『神曲』には「世間において高徳とされていながらもキリストを信じなかった者が落ちる地獄」があると聞きます。これらから論理的に考えれば特に善でも悪でもない人間も地獄に落ちなければならないということになります。たしかにいくらきちんとした社会生活を送っていても良心も罪悪感もなく神や人間を不愉快にさせてばかりいる人は地獄に落ちる、落ちてほしいと思います。しかしたとえ信仰を確立できていなくても人間として最低限の節度をもって生活をしている人なら地獄で永遠に苦しむなどという目に遭わなくてもよいのではないかと思うのです。そのあたりはどのように考えるべきなのでしょうか。
 

私の故郷エデンの園

 投稿者:チビ  投稿日:2017年 4月25日(火)21時05分13秒
  今現在黒いカラスが世界中を飛びまっています、いつ地上に天国が来るのでしょうか、
洗礼を受けたクリスチャンでもサタンの支配から抜け出せずいる。(この世に勝利していない)
 

youtube動画

 投稿者:はじめての者  投稿日:2017年 4月18日(火)14時51分3秒
  JJアカウントでUPされていた動画が全部見れなくなってるのはyoutube側の圧力ですかね?
悲しいです。
 
    (管理人) youtubeの聖書講義動画は再開されました。
よろしくお願い申し上げます。
https://www.youtube.com/channel/UCc0kvWmNEt5fINhtYdEm-9A
 

イースターについて

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2017年 4月16日(日)21時03分45秒
  イースターおめでとうございます。
キリストの復活こそ、私たちの最大の希望です。
ところで、正教会のイースターは、カトリックやプロテスタントとは異なる日と聞いていますが、なぜ東と西とで異なるのでしょうか?
 

家族のすくいんために

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2017年 3月25日(土)07時56分41秒
  他の皆様は、ご自分の家族を信仰に導くためにどのような工夫をなさっていらっしゃいますでしょうか?
使徒16:31などを根拠に、自分が信仰を持っていれば自動的に家族もすくいを受けると考えている人もおりますが、この箇所がそこまで意味するようには思えないのですが…

 

雑感

 投稿者:小林まこと  投稿日:2017年 3月 8日(水)13時39分25秒
  煎れたてのコーヒーを飲み
そういえば今朝の新聞の訃報にスジャータの生みの親の方が亡くなったことを想いだした。ラジオから時報と共にブランド名を宣伝する戦略
スジャータが一時をお知らせします。車乗りなら知らないのはモグリだ…

乳製品か!?むかしカルピスが好きで夏は麦茶とカルピスだったナァと沁々思い出した。あのニグロの登録で揉めたっけ!?オズモンド・ブラザースって兄弟シンガーが宣伝していたっけ、アンディウィリアムスとかパットブーンもいたいた!?記憶違いでないなら パットブーンはあのディビッド・ウィルカーソン牧師の自伝的実話を基づく「十字架と飛び出しナイフ」の映画に主役で出演してましたね。
コーヒーからスジャータ、カルピス、そして十字架と飛び出しナイフか

ニグロの登録で揉めたと言えば幼い時分読んだ「ちびクロさんぼ」
たしか岩波書店が某団体からクレームがあって、最近ようやく解決したとか

何て事はない有名な似非団体からだったようだ…

人種差別だどうのこうの!?在日韓国系のヘイトスピーチって物も眉唾だった。疑えばキリがないが…
そんなこんなで311が今年も巡ってきましたね。岩手の大川小学生はじめ 地震と津波、原発事故で今も避難している方々を思いキリスト者として祈ります。

 

日本人が、いにしえに立ち返ることを願って

 投稿者:加藤寛隆  投稿日:2017年 2月26日(日)10時16分46秒
  私は久保先生の御著書に教えられ、そして励まされて、日本に古代イスラエルの人々が来て、日本神道を作ったのだということを、思い続けながら、いつか、日本神道のなかにある「清め」の心が、実は、キリスト教の「洗い清め」と同じ心なのだと今の時代の日本の人々が知り、いにしえの(奈良時代以前の)神の道に、日本の多くの人々が「立ち返る」ことができることを願いながら、この十年間あまり、祈り、そして様々に物事を考えたりもしてきました。
https://sites.google.com/site/josephmariahk/joseph-maria-h-k
私は日本の仏教も、その本質は「清め」なのではないかと思っています。
日本人の多くは、神社や寺院での「御祈祷」を、みずからの切実な「願い」を込めて、真剣に受けています。
例えば、犬山成田山のホーム・ページには、「人々のむさぼり、いかり、おろかさといった心の迷いをお不動さまの智慧の炎で焼きつくし、願望を清め、すみやかに成就するよう祈念します。」と書かれています。
http://www.inuyama-naritasan.or.jp/grace.html
ここで、「お不動さま」とは、「この宇宙のなかの、動かざる、不動の中心」を指し、そして真言密教において「宇宙の根本存在」だとされる毘盧遮那仏(大日如来)の現れ方の一つ、だと私は理解しています。
つまり、少なくとも日本の真言密教においては、「この宇宙そのものであるほどの存在」が意識され、そのお方の御力を受けて、「願いが清められる」ことを、多くの日本の人々が「心から」願っているということだと思われます。
「唯おひとかたの、おおもと(根本)の神」を思うことが、奈良時代以前の日本神道の在り方だったと、丹後の元伊勢籠神社の先の宮司さまがお語りになったと聞きます。
つまり、日本神道の根本が「絶対神」(天の御中主の神、豊受の大神、国の常立の神)への信仰にあり、そして、日本仏教の大元が「絶対仏」(大日如来、宇宙の根本存在)への信仰にあるのならば、日本人は、事実上、「この世を御造りになった、唯御ひとかたの神」を、心の底ではずっと信仰して来た、ということかと思われます。
私は、いつの日か、日本の多くの人々が、「神さま」や「仏さま」が、実は、「イエスさま」のことだったのだと、「いにしえに、立ち返る」日が来ることを、願ってやみません。

https://sites.google.com/site/josephmariahk/joseph-maria-h-k

 

久保先生へ。

 投稿者:漆畑典子  投稿日:2017年 2月 6日(月)09時26分41秒
   レムナント3月号 読者からの手紙の(リンゴさん)と同じ思いでおります。
、、、、久保先生の背景には福音のキリストがおり神様が働いていらっしゃる、、
素晴らしいです、、。   今日も聖書一日一章より新しい一日の始まりです。 昨年11月
よりの聖書一日一章。私事にて心、苦しくなる事未だ多々起こります。その日を超え、翌朝
また久保先生の聖書一日一章のご解説に出会い、温かい励ましを頂いて一日ずつゆっくりと
歩んでおります。  ありがとうございます。
 

ソドムとゴモラ

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2017年 2月 5日(日)22時14分33秒
  ユダの手紙7節のソドムとゴモラの受けている「『永遠の』火の刑罰」は、『非常に長い期間』と訳すことも可能でしょうか?
マタイ11:24やルカ10:12によりますと、ソドムとゴモラより重い罰を受ける人々もいるようです。
一番重い罰が地獄行きでしょうから、ソドムとゴモラは、「非常に長い期間」の罰を受けているけれど、地獄行きとまではいかないようにも読めそうです。
すべては、最後の審判になってみないと明確なことは言えませんが・・・
 

なるほどなるほど

 投稿者:文清  投稿日:2017年 1月31日(火)09時24分31秒
  参考になりました。ありがとうございます。  

イスカリオテのユダ

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2017年 1月28日(土)09時22分53秒
  確かにユダはキリストを裏切っていますが、ペテロもキリストを裏切っているのに許されています。むしろ主は信仰がなくならないように祈ってくださってさえいます(ルカ22:32)。他の使徒も肝心なときに逃げ出してしまったのですから、程度の差こそあれ主を裏切ったと言えなくもありません。しかし、全員許されています。主はペテロをサタン呼ばわりされて厳しく罵倒されていることもあります(マタイ16:23)。サタンは許されない存在ですし、主はペテロをサタンと同一視するかのように厳しく言われています。しかし、主はペテロを許しています。
そうしますと、ユダだけ許されないのはかえって不自然なようにも思えます。よみで本心から十分に悔い改め、その悔い改めが主に認められたなら、ユダも許しを得られそうに思えます。
すべては、最後の審判のときにならないと断言できないことだとは思いますが・・・
 

自殺者は復活しない?はやはり嘘

 投稿者:文清  投稿日:2017年 1月26日(木)22時12分24秒
  よく自殺した人は天国から締め出され黄泉の暗い世界に放置される?
聖書的には何の根拠ないことが読み物サイトでよくわかりました。神は各々のケースにより裁かれるのであり情状酌量の余地がある場合が大半なんですね?

それにしても新たな疑問自殺したサウル王なら問題ないとしても主を裏切ったユダの場合
生まれて来なかったほうが良かったと酷しい御言葉、ユダの場合は復活は有り得ないのでしょうか?救いは絶たれてしまったのでしょうか?
 

はや様

 投稿者:大城勝  投稿日:2017年 1月26日(木)12時40分10秒
  神様は愛です。とても哀れみ深いお方です。
主と父なる神様に対する冒涜は許して下さいます。
しかし、むやみやたら冒涜してはいけないですよね。

それと、人は生まれた時から死に向かって生きているので必ずその日が来ます。
恐れていても、必ず来るのだから、恐れること自体が不利益ですよね。

主は全てを益に変えられるお方なので、
ハズレが出ても、はずれに感謝していると当たりも出るのです。

「主の御業は時にかなって全てが美しい。」です。

また、私は死が全く怖くないです。
主の為に死ねるのなら、本当に幸せだと思っているので、
下の方法で伝道をしていますが、神様は計画を以って世界を動かしています。

http://www.jesus4-25.com/kyoukai/katudou.html

http://www.jesus4-25.com/yugi/77-77.html

 

神を信じてスマホゲームで欲しいキャラが出ること祈って引くと出なかって神に向かって出なかったなどというと陰府行きでしょうか天国でしょうか

 投稿者:はや  投稿日:2017年 1月25日(水)20時29分32秒
  まだ地上で生きていた時に神は信じていたけど神様を信じてスマホゲームなどでガチャなどした時に神を信じて欲しいキャラが出ることを祈って引くと出なくてそれで神に向かって拗ねたりすると陰府でしょうか?
死ぬのが怖いです
 

ユダ5~7について・・・

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2017年 1月23日(月)07時02分58秒
  いつもご教示ありがとうございます。
新共同訳ユダ5節の「滅ぼされた」という箇所は、原語でも同じ意味なのでしょうか?
ユダ7節は、ソドムやゴモラの人々は、原語でも、”永遠の刑罰・見せしめ”となっているのでしょうか?
もしそうだとしますと、ソドムやゴモラの人々は、神から永遠に悔い改めが認められないということになるのでしょうか?
 

日本の神社の巫女さんいついて

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2017年 1月21日(土)21時06分10秒
  日本の神社とユダヤ教の神殿との類似性についてよく聞かれます。
日本の神社には巫女さんがおりますが、ユダヤ教の神殿でも巫女さんのような人がいるのでしょうか?
神前結婚式では巫女さんが舞を舞ったりします。ユダヤ教でも同じようなことがあるのでしょうか?
 

自死について

 投稿者:文清  投稿日:2017年 1月17日(火)09時08分21秒
  有名なカルト対策活動家の村上密氏の話では
自殺或いは自死に関して
聖書では「罪」とする根拠はありませんよ。と提言されています。改めてレムナントとしては自死は如何なのでしょうか?お訊ねいたします。
 

有難うございました

 投稿者:バニー  投稿日:2017年 1月12日(木)07時27分37秒
  本日「人生の目的」のページを読みましたら、先日の質問、創造の目的について書かれていました。
どうも有難うございます。
 

創造

 投稿者:バニー  投稿日:2017年 1月11日(水)05時21分39秒
  とても久しぶりにこのサイトへアクセスしたら「再開」されたようでとても嬉しく思いました。引き寄せられたかのようなタイミングでページに訪問しましたのもご縁でしたので、こんな基本的な質問で申し訳ありませんが、教えて下さい。

神様は何故人を創造されたのでしょうか?何故「ご自分に似た姿に人」を創造しないといけなかったのでしょうか。ある読み物で、「死後の世界には私達が想像を遥かに超えた何かかが待っている」とありましたが、それが聖書いう「永遠の世界」とするならば、何故それを必要とされたのでしょうか?

 

聖書一日一章

 投稿者:漆畑典子  投稿日:2017年 1月 4日(水)06時46分36秒
  おはようございます。 今朝もレムナント 聖書一日一章 より今日がはじまります。
 感謝です。 今日の一章を静かに朗読します。 様々を超え尊い聖書に出会えさせて頂き一年余り、、
手探りでの聖書との対話の自分に、久保様のご解説がとてもわかりやすく、そして一章一章への深い思いが
心に染みます、、。 本当にありがとうございます。
 掲示板での皆様との出会いも、日々のわたしの喜びです。 ありがとうございます。
 
 

始めまして。中村美智子といいます

 投稿者:中村美智子  投稿日:2017年 1月 3日(火)03時17分39秒
  キリスト教読み物サイトを興味深く読ませていただいています。
はじめて知ることがとても多いです。
ありがとうございます。
 

現在の日本における宣教について

 投稿者:よしゅあ  投稿日:2016年12月29日(木)18時35分16秒
  私はいままで口下手だから伝道には向いていないと考えていました。
しかし、マザーテレサの「宣教とは説教することではありません。あなたの存在そのものが語りかけるのです」という言葉に触発されました。うちの奥さんからも「話し好きのあなたがとても口下手とは思えない」とも言われて、案外自分にも伝道ってできるものなのかな…?と考えはじめているところです。ほかの一般信徒の皆さんは、どのように工夫して宣教されていらっしゃいますでしょうか?
ブログを書いたりしている方もいらっしゃいますでしょうか?
 

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